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Jul 20, 2005

めんどくさがりの遺産分割申告Vol.3

12月下旬に行った母の四十九日で顔を合わせたものの、正式に遺産分割の話をすることになったのは年を越した1月中旬のことだった。
ウソのような話だが、母の葬儀の翌日に倒れた小丸は病気が見つかり、12月中に手術するハメになったのだ。その結果、1回目の話し合いから2カ月近く間が空いてしまったのである。
しかし、1回目の話し合いも、四十九日も和やかに済ませたという思いがあった小丸たちは、その時間の経過については気にもとめていなかった。

ところが、その間に何かがおっさんに起こっていた。
誰に入れ知恵されたのか知らないが、これ以降、おっさんは要求をエスカレートさせていくのである。
2回目の話し合いで「家と土地の名義は、小丸と自分の共同名義」に。
3回目には「家と土地は自分の名義。維持管理は小丸」に変わった。
共同名義まではいくつの条件を出し、それさえクリアしてくれれば言い分を飲むつもりだったが、3回目の要求は小丸も弟も、簡単に飲むわけにはいかなかった。
それは最初の話と違いすぎるし、おっさんが伝家の宝刀の様に使う「母の遺言」とも違う。
小丸たちは数回の話し合い中、言葉を、法律を、最終兵器「母の遺言」まで持ち出して、おっさんに譲歩案を提案したが、おっさんはどんなことを言われても、自分の要求を引く様子は見せなかった。
そして言ったのである。
「お前たちは信用できん!」

……どっちが!?
怒りながらも、小声でツッコむことは忘れない小丸だった。

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Jul 08, 2005

めんどくさがりの遺産分割申告Vol.2

「あの家は小丸の物だけど、おっさんがこの町を出ると言うまでは、住まわせてあげて」
「生命保険の受取人は小丸しかいないから、そのお金で銀行にある借金は返してね」

母の遺言は、そのふたつ。
遺言といっても、病室で小丸やおっさんにポツリと話しただけで、遺言状を書いたわけでもない。法律的には無効のはずだ。
それでも母の言葉を無碍にできるわけもなく、小丸はうなづいた。もちろん、その言葉通りにしようと思いながらだ。

戦いのスタートは、のどかだった。
それは葬式から1週間後のこと。小丸と弟、おっさんの三人で、遺産関係の書類を整理することになった。
母の看病を協力して乗り切ったこともあり、小丸はおっさんに対して、少し心を開いていたし、それはおっさんにしても同じだったのだろう。書類の整理は穏やかな秋の日に相応しいムードで進んだ。

母が小丸たちに残した物は3つ。
1、店舗兼住居のボロ家、それが建つへっぽこ谷の土地。
2、生命保険(その金額は小丸を10とすると、弟に4。おっさんにも5〜6程度の額が下りたらしい)
3、店の回転資金と車購入の借金 約500万円

この他に、微々たる貯金もあったのだろうが「入院でほとんど使ったし、記帳していない。それに、俺の貯金も一緒になっているから」というおっさんの言葉を信じて、確認はしなかった。
……今振り返ると、きちんと確認しておけば良かったと、心の底から思う。

一通り確認が終わった後、
「この家は小丸に…という言葉もあったし、通帳以外の書類は全部持っていって」と、
おっさんは笑った。
その言葉と姿から、この後、どんな展開が待っているかなど、読めるはずもなかった。

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Jul 07, 2005

めんどくさがりの遺産分割申告Vol.1

01年の秋に実母が亡くなった。
小丸と弟が小学生の時に両親は離婚し、母は家をでた。
よくある離婚話だと、この後、音信不通になったり、小丸と弟を引き取った父が再婚して、義母との関係に悩んだりするのだが、ありがたいことに小丸んちは「優良離婚家庭」。
両親は再婚もせず、父は母に会うことすら少しも嫌がらなかった。

ちなみに母は、小丸たちが住む街から車で1時間ほどのへっぽこ谷で店を営み、女手ひとつで家も建てた。
我が母ながら、性根の座った人である。
しかし、そういう人には必ず弱みがあるわけで、母の場合は「男」。ありきたりである。
再婚はしなかったものの、母は同棲を繰り返した。
同棲と言っても、男が母の持ち家に転がりこむわけだから、甲斐性なんてあるわけがない。
別れては新しい男が現れ、別れては新しい男。
そんな母を間近で見ていた小丸は、正直言って、母には男を見る目が無いと思っていた。(……今でも思っている)

そんな母の晩年に現れたのが「おっさん」である。
おっさんと母は92年頃、知り合い、ご多分にもれず、そのまま母の家に転がり込んだ。
妻も子どもも、借金すらある身でだ。
唯一おっさんが、今までの男と違ったのは、建築関係の資格を持ち、フリーで仕事をしていた彼には稼ぎがあったのである。

以来、10年近く。おっさんは母と暮らした。母が入院してからの数ヶ月は仕事もせずに、かかりっきりになって母を看てくれた。
「フリーランスはこんな時、便利〜」と思いつつ、週末しか泊まり込みに来れない小丸は、おっさんに対して素直に頭が下がったし、心の底から感謝した。
その結果、許してしまったのである。
何を?
二人の結婚を!
母はおっさんの籍に入った数日後に、死出の旅に出た。
そして、おっさんと小丸の戦いの日が始まったのである。

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